どうも、なかこうです。
地方の中小企業で10年以上働く中年サラリーマンです。
サラリーマンとして充実して働きたい!!
この強い気持ちから人生を豊かにする思考や知識・情報に得た情報を発信をしています。
今回は“人の判断”について深掘りしてみようと思います。
人生では判断の連続ですが、実はわざわざしなくてもいい事を判断して苦しんでいるって知っていましたか。
例えば、、
- あの人と私を比べたら、、○○
- 上司は私のこと嫌ってるに違いない
- どうせ私には上手くいくわけがない
こういったものは全て自分で勝手に判断していることです。
本記事では“ムダな判断”と呼ぶことにします。
「思い込み」「決めつけ」という言葉で言い換えることも可能な思考です。
・感情のコントロールがしやすくなる
・悩みの数が減る
・悩みの質が変わる
それでは、早速いってみましょう。
本記事では“ムダな判断”が知らぬ間に与えている悪影響を深堀しつつ、どのように対策していくかについて書いていきたいと思います。
『反応しない練習 』を参考にしております。
著 草薙 龍瞬
目次
“ムダな判断” は 不幸の始まり
そもそも“判断”ってどんな意味か見てみましょう。
・物事の真偽・善悪などを見極め、それについて自分の考えを定めること
“ムダな判断”とは、“ムダに物事の真偽・善悪の考えを定めてしまう”こと
適切な判断をするときに欠かせないものは“ 正確な情報 ”です。
判断材料がでたらめだとすると、どんな優秀な人あっても、適切な判断は出来ません。
が、人間の日常生活では“不正確な情報”で判断してしまっていることが少なくありません。
(日常生活での判断例)
・自分の人生は意味がないものだ
・自分は他人よりも劣っている
・絶対自分の方が正しい
・「どうせ自分なんて」という自虐的な気持ち
・昔から◯◯だから出来っこない。
例に挙げたいずれの内容も“見極めて答えを定める”ことが出来るはずのないものです。
客観的な情報に基づくことなどありえません。
では、どうやって例のようなことに判断を下しているのか。
ずばり“妄想”です。
ここまで生きてきた中で培った“価値観”や“思い込み”などを基にして、
みんな妄想で判断をしています。
なので、“正確な情報”に全く基づいていないため、これらは“ムダな判断”となります。
やっかいなことに“ムダな判断”はそれだけに留まりません。
“ムダな判断”を重ねていると、別のものを生み出します。
“ムダな判断”が“執着”を生み出す
人間は自分の判断を正しいと思いたい願望があるため、
それが“ムダな判断”だとしてもその判断を正当化する理由を探し、“執着”することが起きます。
例えば、「強い口調のA吉さんを苦手だな 」 と判断をします。
“苦手”だと判断した瞬間から、私の中では“A吉さんは苦手な人”でなければならなくなります。
脳みそが“苦手な人”と判断するための材料ばかりを探し始めて、さらにこの考えを強化していく作業を始めます。
これは完全に自分の判断に“執着”し始めている状態です。
ここで第3者からA吉さんは優しいところがあるんだよという人物像にない情報を知ったとしても、“そんなはずはない”と自分の中で否定をしてしまう。
ここで簡単に自分の判断をひっくり返す柔軟性があれば問題ありません。
が、自分が生み出した“ムダな判断”に自分が振り回されるパターンは少なくありません。
こんなことを積み重ねているうちに、人生がどんどん複雑に感じられてしまう。
“苦手な人”だと思っても、その思ったことに“執着”しなければ、A吉さんをもっとフラットに理解して、A吉さんとの関係性も変わっていたかもしれません。
「どう考えても」という判断は特に注意が必要
日常生活を送っていると「どう考えても自分が正しい」と思うような場面ってありますよね?
でも、こういったときは注意が必要です。
「どう考えても」というのは言葉の通り、自分の頭の中だけで考えており、自分の考えだけになってしまうのはある意味で当然です。
「どう考えても=絶対的正義」をかざす言葉になってしまいます。
実際は相手の立場や経験・価値観全てが違った上で、自分と違った意見や行動になっているわけです。
なので、正誤にこだわるのではなく、事実を事実としてだけ受け止める。
「そういう意見の人もいるんだな」と余裕を持って接する事が理想です。
なぜ人は“ムダな判断”をしてしまうのか
では、なぜ私たちは“ムダな判断”をしてしまうのか、、
「判断する心には、わかった気になれる気持ち良さと、自分は正しいと思える(承認求を満たせる)快楽がある。 だからみんな、判断することに夢中になる。」
つまり、人間にとって気持ちがいいことだからです。
なので、無意識的につい繰り返しやってしまうんです。
これが、“ムダな判断”の落とし穴。
短期では気持ちがいいのに、長期的にみればどん詰まってしまう。
だから、ドツボにハマる。。
わかったつもりは気持ちいい
1、結論が出せた気がして安心できる。
自分の下した判断が正しいか、正しくないのかはあまり関係ありません。
わかったつもりになること自体が気持ち良い。
- 私は人見知りだから話せない
- 私は背が低いからモテない
こんな“判断”ってよくありますよね?
まさに“ムダな判断”という感じです。
「 〇〇 だから」と勝手に因果関係を判断をする。
すると、わかったつもりになるので、気が楽になる。それは確かです。
モテない理由がわからないと不安になるので、「低身長」という最もらしい事柄を原因だと判断してしまうわけです。
これは事実ではなく妄想に基づいた判断です。
実際は低身長でもモテている人はいるわけで、低身長と決めつける理由はどこにもない。
でも、結論をそこで出すことで落ち着くし、気持ちがいいのでついやってしまう。
判断をすることで認められた気がする
自分が判断したことを誰かに伝えて、その意見に同意してもらえると、承認欲求を満たして
くれるそうです。
愚痴などまさにそうです。
旦那の、、、
上司の、、、
会社の、、、
芸能人の、、
愚痴を言いたい時に同意しない人を選んで話す人はなんていませんよね?
自分が思ったこと・判断したことに同意してもらえることは、承認欲を満たしていることになり、
すごく気持ちがいい。
なんか自分が認められた気がする。
でも、現実は変わっていないので、愚痴に感じていることは何も解決していません。
なので、また愚痴を言って、、、という負のループが始まってしまいます。
“ムダな判断”には気をつけたいです。
“ムダな判断”をしないためにどうするか
ここからは“ムダな判断”をしないためにどうするかについて考えてみたいと思います。
①判断したと気付いたら口にだす
人間は本能的に“ムダな判断”はしてしまいます。
完全になくすことは不可能。
なので、今自分が“判断”をしたと気付いたら、その時点で口に出してみましょう。
自分がどういう場面で “ムダな判断”をしているかを把握することからスタートです。
・誰かを苦しめている「こうでなければ」という判断は「勘違い」
・「真実であり、有益である(役に立つ)」こと
その判断が“ムダか否か”は上記の内容で確認をしていきます。
②自分のことだけに集中して判断する
“ムダな判断”の多くは他人と自分を比較してしまう場合に起きています。
自分と他人は全く違う生き物だと認識して、「人は人、自分は自分」と割り切る気持ちが重要です。
・相手がどんな言動をするか。
・相手がどんな風に考えているのか。
これは相手にしかコントロールが出来ません。
一方で、主語が私である限り、決定権は私にあります。
・私がどんな言動をするのか。
・私がどんな風に考えているのか。
決定権のある私のことに関しては、“ムダな判断”になりずらい。
③自分のことを否定しない
私のことに集中する時の注意です。
決して私のことを否定しない。
「失敗した」と思う事は誰でもありうることです。
その時に自分のことをネガティブな人間だと“ムダな判断”をしないことです。
「自分には向いていないんだ」「ダメ人間過ぎる」とつい考えてしまうことをやめましょう。
自分を否定していると承認欲が満たされないため、「怒り」が生み出されるそうです。
そうなると、、誰かを攻撃したり、さらに自分を攻撃する。
もしくは、やる気がなくなる、さぼる、引きこもるなどの消極的な方に行動がシフトしてしまいます。
さらに、この状況を「どうにかしよう」と考えるも上手くいかず、さらにドツボにはまる。
仏教的にどんな状況であれ、「怒りを作り出さない」という方針に立つこと。
どんな状況であっても“判断をしない(否定しない)”
ま と め
“ムダな判断”いかがでしたでしょうか。
私は初めて知った時に、全然馴染みのない感覚で新鮮に感じると同時に衝撃が走りました。
悩みのメカニズムが解明された感じがして、心がザワザワしたことを覚えています。
無意識的にしてしまう“判断”を意識して是正してくことはなかなかしんどいことです。
こういった考えかたは短期的に直るものではありません。
すぐに出来ないと“判断”せず、時間を掛けて実践することを目標にしていったらいいのかなと思います。
私もまだまだ自分は“ムダな判断”をしている場面が多いですが、“”ムダな判断”をやめられた場面もたくさんあります。
このブログも他のブロガーの方と比べて“判断”したら、絶対に続けられません。
アクセスを集められていない自分に絶望するに決まっているので。
地道に時間を掛けて“ムダな判断”を無くしていきましょう。
最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。